希望の国のエクソダス

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

積読消化。通勤時に少しずつ読んでいて、土曜日に読みきった。久しぶりの村上龍作品。この人の作品は、随所に本質的な問いかけや、ご本人の主張が散りばめられている。それでいて、物語として魅力的だと感じる。

どういうわけか日本ではコミュニケーションが薄まってしまう。個人としての話を聞くことがほとんどない。
P.52

自分が身を置いている環境は往々にして、対個人としての関係性が薄まってしまいがち。組織の論理や、体裁のフィルタをかけた主張に重きが置かれるからなんだろう。会社員として、企業の利益を担って生きる中でしょうがない部分はあると思うけど、はっと気づかせてくれる。それが関係性の全てではないことに。

自分たちにとっては当然でも、相手が違えば、当然のことではなくなる、ということにはなかなか気づきにくいんだよね。大前提があって、共通のイメージがあって、あ、うん、の呼吸で分かり合えるほうが楽に決まっているもんね。
P.122

他の人間にとっては当たり前のことが自分にはわからないとき、おれたちはそのことをつい疑ってしまう。そうしないと不安だからだ。
P.155

相手のことがわからないからこそ、その溝を埋めるように努める。相手を理解する。単純じゃないことを受け入れる。それが、本当のコミュニケーションだと思う。

ゆっくりと死んでるような気分かな。
P.175

ぞくっとした。

生き延びるために才能を発揮している。
P.189

cleverとは違うこの感覚。大事にしたい。

日本では酒の席でペーペーがビールや日本酒を相手に注ぐだろう。ヨーロッパでは逆なんだよ。その席を仕切る一番偉い奴がみんなにワインやシャンパンをサーブするんだ。サーブされることよりサーブすることが贅沢なんだよ。
P.225

個人的にしっくりきた。

危機感だけがものごとを考える力を生む
P.235

村上龍が、長年絶えず主張している言葉だ。危機感、今の自分は持っているだろうか。どこか、安穏としていないだろうか。
こんな言葉達が、あちこちに点在している。それも絶妙なコンテキストで。

『希望の国のエクソダス』取材ノート

『希望の国のエクソダス』取材ノート

あとがきに取材ノートを出版するって書いてあったけど、これか。為替の話とか追いつけなかったので、読んでみよう。